【corin14】まちの活動ファイル04 二七市さんぽ

二七市さん

戦後のモノのない時代。たくましく生きた人々の名残りが今なお受け継がれる、八幡町の二七市。今回のまちの活動ファイルでは、この二七市の歴史と共に、
とある日の市の様子を、素敵なイラスト写真でお届けします。
次の二と七の付く日には、ぜひ二七市まで足を延ばしてみませんか?


二七市と、八幡通りの歴史
 岡崎公園から北東へ徒歩十分。本町三丁目の交差点から、八幡町三丁目の交差点まで、東西に走る八幡通りの300m、通称二七市通りで毎月、二と七がつく日に開催される定期朝市。これが二七市(ふないち)です。
  二七市の歴史は、太平洋戦争からたどるべきでしょうか。
 戦後の物資不足のなか、生活必需品を求める市民を対象にした、いわゆるヤミ市が二七市の最前身。東岡崎駅前に市場を開いていた業者が、交通の障害になるからと場所を転々とした後、商店街の発展の起爆剤として、戦後復興の気運高まる、昭和三〇年(1955年)十二月十二日、
記念すべき第1回目の二七市が開催されることとなりました。昭和三七年の出店数は221件。食料品だけでなく、衣料品や植木など、さまざまな商品が扱われ、市内のみならず、近隣の豊田市や西尾市、さらには名古屋市からも出店があったそうです。
 歩行者天国となったのは昭和四六年(1971年)。今では、規制場所が一目でわかるように、道路が色分けされています。
 平成十八年(2006年)、二七市創設五〇周年を記念して、一丁目
交差点脇に結びつきの碑が設置されました。中央の玉に結びつく二つの帯は、二七市に集まる人びとの出会いと結びつきを表現しているのだそう。
 少し遡ると、八幡町の由来は明治時代から。旧岡崎城内、下級武士の組屋敷地だった地区が、甲山にある八幡宮にちなんで八幡町と名付けられました。
 この甲山八幡宮は、元は岡崎城の本丸にあった八幡宮を移転したものが由来。甲山は岡崎城の北西ににあたるので、鬼門の守護の神となります。八幡通りの歩道には、「八」の形に向きあう鳩の図が描かれてます。これは岡崎城を守る八幡神のシンボルなのです。
 そして、歴史好きに必見なのは、総堀の跡。岡崎城を何重にも取り囲む堀のうち、一番外側にあたる水堀を総堀と言いますが、二七市通りの南側は、まさしくこの総堀を埋め立てた、ほぼ上を通っています。ですから通りから南北を見ると、どちらも上り坂になっていて、通りのあるあたりが一番低くなっているのがわかります。通りの南で駐車場になっている所は、堀の高低差がとてもよくわかるので、私のお気に入りの観察ポイントです。
 お店を巡るだけで楽しい二七市ですが、一歩立ち止まってみるとまた、新しい発見があるかもしれません。


写真・お店紹介:ニートルズさん
人情味ある康生町のお店や歴史が大好きな自称フリー素材(なんでも屋)
今まで康生界隈でまちあるき、写真展、UFO召喚、ライブ等したりして遊んできました(^-^) 好物は八丁味噌のどて煮。

イラスト・デザイン:オギノシエさん
岡崎在住の駆け出しマルチクリエイター。康生界隈はまだ初心者。
町の雰囲気が大好きで方向音痴を武器に隠れ家を見つけるのが趣味。好物は味噌おでん。

文:裕子さん
家康公と三河武士をこよなく愛する歴史マニア。
岡崎の歴史遺産をご案内する観光ガイド岡崎歴史かたり人として、日々、まちの魅力や歴史の面白さを、熱く語っています。

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