【corin13】巻頭特集「伝馬通り周辺」のまち遊び #08(最終回)

☞ 備前屋から探る 伝馬歴史探訪記 備前屋本店は、宿場町伝馬のエピソードを ぎゅっと詰め込んだ、岡崎の歴史のテーマパーク。 そんな備前屋さんから、お茶のお供になりそうな 話題を集めてみました。 備前屋の創業は、江戸時代中期の天明二年。田沼意次が老中として幕政に参与し、全国的に商業が発展を遂げた頃です。 モダン通り側にある石壁は、文政九年の伝馬町家順間口書。江戸時代の街並みと店の位置がわかります。 二百年以上、製菓業を営んできた『備前屋』の屋号は、岡崎城の一区画『備前廓』から。 岡崎城代官として仁政を施した『伊奈 備前守 忠次』に由来するものでしょう。 岡崎城や岡崎宿伝馬町、古代から近代に至るまで、商品名が由来する歴史エピソードをいくつかご紹介します。 1.非時香菓 (ときじくのかぐのこのみ) 難しい名前ですが、日本書紀の垂仁紀に、田道間守(たじまもり)が天皇のために求めた不老不死の果実の名前です。 橘の実のことだとも言われています。 田道間守が常世国(不老不死の理想郷)でこの実を手に入れ、戻った時には、既に天皇は亡くなっていた…という悲しい物語ですが、この伝説から、田道間守は菓子神・菓祖として祀られています。 2. 真福もち (しんぷくもち) 岡崎市北部にある真福寺は、物部真福(もののべのまさち)の創建。 蘇我氏と争い敗れた物部守屋の次男・真福は父のため、聖徳太子の許しを得て、この三河の地に真福寺を開山しました。 本尊の薬師如来の威光か、物部真福は「真福長者」と呼ばれ長生きし、真福寺もまた千年を超えて今に伝えられています。 3. 二十七曲りせんべい (にじゅうななまがりせんべい) 家康公が江戸に移封された後、岡崎城主となった田中吉政は、岡崎の町を大改革し、東海道を町に引き入れました。 岡崎城を避けるため、また防衛のために何度も折れ曲がった道は「二十七曲り」と呼ばれ、街沿いにたくさんの商家が発展しました。二十七曲りせんべいは「七回曲がったせんべい」を「二重」にすることで、二十七曲りを表現しているそうです。 4. 駒牽朱印 (こまびきしゅいん) ...