【corin13】巻頭特集「伝馬通り周辺」のまち遊び #01






「伝馬通り周辺」のまち遊び

康生エリアであそぼう04
江戸時代中期から後期にかけて、岡崎の経済の中心を担った伝馬町。戦火を免れたレトロな街並みが一部残っていたり、伝馬町の歴史が分かる石像が立ち並んでいます。
この機会に、歴史散策を楽しんでみませんか?


伝馬町 宿場町 おもてなしの町

伝馬のマークは馬がモチーフ

伝馬とは江戸時代の制度で、人や荷物を馬に乗せ、次の宿駅や目的地まで運んでいく制度のこと。
馬を替えるごとに、荷物を降ろし人も休憩するので、伝馬町は宿場町としての顔も持つことになります。

慶長10年、榎町(現在の祐金町)にあった伝馬の機能が、現在の伝馬町の位置に移され、さらに洪水で壊滅的な被害を受けた八丁村の住人が移住したことで、伝馬町の歴史が始まります。
岡崎は東海道上にあり、大名行列、お伊勢参り、信州の善光寺参りや、遠州秋葉参りのルート上にあったことから、大大名から巡礼の民間人まで、様々な旅人を迎えました。

西本陣跡の石碑
天保の頃には、大名格が宿泊する最高格の『本陣』が三軒、それに次ぐ格の『脇本陣』が三軒、旅籠屋が百十二軒もあったといいます。
さらに民間人が宿泊する安い木賃宿もたくさんあり、伝馬町が巡礼の民間人まで受け入れた大規模な宿場町であったことがわかります。

宿場の賑わいにあわせて、宿場に雇われ、芸能を嗜み、給仕や客の接待をする、飯盛女という女性たちが華やぎを添えました。「岡崎女郎衆はいい女郎衆」と小唄にも歌われるほどの人気だったそうです。

伝馬町には特別な公人を迎えるための、御馳走屋敷という施設も、今の岡信資料館の南側にありました。
岡崎藩家臣の家には、この御馳走屋敷の調度品の並べ方などを示した精密な説明図も残されていて、大切なお客様をいかにもてなすか、細心の注意を払っていたこことが伺えます。
将軍の就任をお祝いする国際親善使節『朝鮮通信使』は千人を超す壮麗な大行列で、迎える伝馬町の住人もだいたい千人余程度だったと言いますから、その賑やかさや忙しさは想像を絶します。

御馳走屋敷跡地

また、御馳走屋敷でおもてなしされた要人(?)の中には、『お茶壷』もあります。
これは、将軍に献上される新茶を、宇治から江戸まで運ぶ、毎年の公式行事です。百人を超えるこの行列は『お茶壷道中』と呼ばれました。
お茶壷は休憩のため御馳走屋敷に運ばれ、岡崎藩の家老が出向きお茶壷奉行たちを丁寧にもてなしたそうです。

こうしてたくさんの人と物を受け入れて伝馬町は繁栄し、江戸中期頃には、岡崎の経済の中心も、連尺町から伝馬町に移っていきました。

そして明治になり、宿駅伝馬制度が廃止され、東海道が国道1号線に移り、路面電車が殿橋を渡る頃、康生通りにその役割を譲り渡していったのです。


[#02に続く]

協力
文:りおんさん
写真:スーさん

【corin13】巻頭特集「伝馬通り周辺」のまち遊び #02


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corin vol.13(冬号)の巻頭特集に掲載 *2020.1.15発行

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